2025年、とみおかクリーニングは創業75周年を迎えます。
日本には100年企業がゴロゴロありますから、75年などというのはまだまだひよっ子で、さして珍しくもありませんが、当社としましては、それなりの節目と言えないこともないので、社内的には少し盛り上がっております。
そして、何よりも、今までなんとか続いてこられたのは、ひとえに当社を支えてきてくれたお客様方々、お取引先の皆様方のお陰様でありまして、あらためてそういったご愛顧に感謝し、これからも皆様から必要とされる企業として成長していけるよう、自己を振り返り未来を見つめ直すよい機会であるととらえております。
今までどうもありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
さて、ではまず創業を振り返ってみること75年前。
1950年(多分8月?)に当社は、富岡喜六(きろく)によって創業されました。
私の祖父です。彼は明治36年(1903年)2月生まれですから47才のとき、2代目である富岡重喜が9才になったころです。割と遅めの起業だったんですね。
喜六は青森県下北の生まれで、喜六というくらいですから六男の末っ子でした。
(下北の富岡は、元を辿ると、喜六の4代か5代くらい前、江戸時代の元禄のころに福井県の三国湊からの移住だそうです。屋号を小針屋といい山師や廻船問屋というのでしょうか、それらを家業とし、北前船にかかわりのある商家だったようです。)
どういう経緯かはわかりませんが、喜六は北海道釧路に流れ着き、おそらく戦後の混乱まもなく中標津空港の用度係かなにか、どうやらそのあたりの仕事がきっかけで中標津にきたそうです。
その後、衣類の行商をやって生計をたてたりしているうちに、ある知人の紹介で「クリーニング」を始めるようになったとのこと。
そこにはおそらくなにかしらの信念や確固たる未来への展望があったわけではないのでしょう。
故郷からひとり離れ、財産があるわけでもなく、戦後の混乱期に、5人の子供達を夫婦で養っていくという必死さだけだったのではないかと想像しています。
祖父は昭和43年(1968年)に67才で亡くなっておりますので、私は会ったことがありません。
「寡黙なひとだった。」「お茶が好きだった。」
父や親戚からポツリポツリと聞く祖父の断片的な記憶も曖昧になってきていて、多くのことはわかりません。
祖父と話をしてみたいと思います。
3代目のバトンを渡されてみて、もっといろんなことが知りたくなってきています。
なんで中標津に来たのか、なぜクリーニングを始めたのか?どんな苦労をしたのか?どんな未来を想像していたのか?
なにはともあれ、祖父がクリーニングを始めたから、今のとみおかクリーニングがあるわけで、せっかくここまできたのだから100年続く会社にして次世代にバトンを渡していくのが3代目のわたしの役目だと感じていたりもします。
100年までやっと3/4ですね。
100周年に向かって、次の25年はどんな未来がやってくるのか。
期待も不安もありますが、どんな時代であろうと明るい未来を作っていけるよう、そして、とみおかクリーニングをもっと面白いお店にできるよう、尽力していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。